星野リゾート 界 鬼怒川・徹底紹介☆その1・エントランスとロビー

今回から2、3回に渡って、 栃木県日光市・鬼怒川温泉にある【星野リゾート 界 鬼怒川】の宿泊記について、たくさんの写真と共にお伝えします!
(※2017年6月30日ー7月1日の旅行記です)

2017年6月30日。
東京から車で【星野リゾート 界 鬼怒川】 へ。

星野リゾート 界 鬼怒川
栃木県日光市鬼怒川温泉滝308

↓こちらの看板を目印に入っていきます。


木々の緑が美しい木立の間を走り、エントランスへ向かいます。


こちらがホテルのエントランス部分です。
エントランスにはスタッフの方が待機し、スムーズにパーキングに案内をして下さいました。

私達が訪れたのが2017年、この「界」がオープンしたのは 2015年11月ですので、エントランス部分を見るだけでも、まだ新しくてキレイなのが分かりました。

そして、ここに来るまで知らなかったのがこのガラス張りの『スロープカー』
なんと、さきほどのエントランスの裏側に、このスロープカーの乗り場があり、これに乗ってホテル棟へ移動するのです~!!


短い距離ですが、大人でもワクワクしました♪

以前の【星野リゾート界 伊東(その2)】の記事で、「界 伊東」は、私が子供時代に母と今では亡くなってしまった父とかつて訪れた旅館がリノベーションされたものだと知ってじーんとした、ということを書いたのですが、こちらの「界 鬼怒川」は、 「界」ブランドでは初めてデザインから建築までを手掛け、ブランドのコンセプトを表現した宿泊施設となっているそうですよ。エントランスで迎えてくれたスタッフさんが教えて下さいました。

こちらがロビー


建物はロの字型になっていて、ロビー、食事処、客室…どこにいても中庭が見えるようになっています。


チェックイン時にロビーでおしぼりとドリンク(何だか忘れた^^;)をいただきました。


こちらが中庭です。訪れたのが初夏でしたので、新緑が観賞できました。


こちらは左手がロビーのある棟、右手がお食事処の棟です。中庭越し(ロの字型の内側)からの外観です。


ロビーに隣接して図書スペースとソファーがあります。


ソファーも中庭に向いて並んでいて心地よいロケーションになっています。
また、同スペースにお茶やコーヒーのマシーンもあって、自由に飲むことができました。
(※コロナ前のことなので、図書の閲覧やドリンクサービスなどが現在も同じように提供されているかは不明です。ご了承下さい。)


さあ、オープンエアの廊下を抜けて客室に向かいます。

次回は客室の様子などについてお伝えします!


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【自己紹介】2019夏・会社を辞める決意

2019年のカリフォルニア→コロラド旅行記を書き終えたところで、この旅の直前に決めた退社の決意について、自己紹介がてら書かせていただこうかと思います^^;

まずは簡単に自己紹介から…
(趣味等についての自己紹介は過去の自己紹介記事に掲載しています^^)

私の専門は分子生物学で、某理系大卒後、実験補助スタッフとして就職。
その後、本格的に研究者への道を目指したくなり、大学の研究所に勤務し、がん関連遺伝子の研究を行い、医学博士号(Ph.Dであり、MDではありません)を取得しました。

2009年に主人がNY・ウェストチェスター赴任となり、赴任決定の少し前にバイオベンチャー企業を退職していた私は、主人と共に渡米。

2009年1月26日から2010年10月2日の1年8か月、 NY・ウェストチェスター在住。

帰国後、昨年末に退職した会社(製薬企業)とご縁があり、2010年12月から創薬研究スタッフとして勤務をスタートしました。

そんな長年正社員として勤めていた会社を辞めるのには相当な勇気が必要でしたが、2018年11月に一度退職を相談し、慰留されて思いとどまり、2019年の6月末に再び辞意を固め、再度慰留された末に、2019年12月に退職にいたりました。

会社を辞めたくなったのは、会社側にまったく理由が無かった…とまでは言いませんが、基本的にはホワイト企業で従業員を大切にする会社だったので、自分の中の問題だと思っています。

「自分の中の問題」というのは、具体的に言うと自身の性格のことで、人に気を遣って気疲れする、自分に自信が持てない、不安症とそこからくる不眠などがあげられます。

会社在籍期間は、自分なりに学んだりと努力をしていたものの、研究者としての自信が持てず、上司と相談し、何かのチャンスがあれば研究総務等の事務職系に配置換えを願い出ていました。しかし会社側は私のスキルを認めていてくれていたので、配置換えを待たされて6年以上の月日が経過しました。
そんなある時、社長が(ある程度)英語ができて研究の知識のあるアシスタントを…ということで突然の社長秘書になってしまいまして@@!急展開に自分もびっくり。
しかし、ありがたいお話なので社長秘書の傍ら、研究者の採用や研究者のトレーニング教材の作成、投資家が閲覧するウェブページの作成などをしてきました。

意外と(!?)そういった仕事のほうが研究者より楽しいと感じる機会が多かったのですが、人と接するという機会において、研究者の時は研究者の同僚だったのが、今度は社長、その他取締役やクライアント…などより一層繊細な応対が問われることが増え、私の対人ストレスが増大していきました。

それと連動するように2019年春ごろから体調が悪化しはじめ…

食道が痛くて眠れなくて、胃の内視鏡検査を受けると、逆流性食道炎が見つかったうえ、胃の中は、ベテラン医師が「僕もここまでひどいのは見たことが無い」というヒョウ柄のような沢山のアフタがあり、びらん、ポリープ、 食道裂孔ヘルニアまで判明して、もう胃の不調のオールスターズ…(苦笑)。

さらに、もともとある程度あった不眠症(渡米前に終夜眠ポリグラフ検査をして判明したが、当時4種類存在した治療薬を試すも、どれも有効性が確認できなかった)がひどくなり、最新の治療薬を求めて再検査すると、今度は「3000人に1人しかいないタイプの不眠症で治療薬は無い」と診断され、ショックを受けることに。

悪夢にうなされたり、誰かと激しい口喧嘩をしている夢を見ることも多く、朝起きると、眠った気がせずにいつも気分は最悪でした。
たくさん寝るとそれがある程度カバーできるので、平日はとにかくたくさん寝ることを心掛けていたのですが、そうなると、起きている時間は常に「寝る時間を増やすために何もかも急ぐ」ことになってしまい、起きている時間にリラックスすることができなくなってしまいました。

2018年の夏ごろには、「生きていても楽しくない、大好きな旅に行っても、リフレッシュできず仕事に戻ることを考えると楽しめない」となり、

末期は「生きるために寝るのか、寝るために生きているのか?」と考えるようになり、主人や上司と何度も話し合いを重ねた結果、仕事を辞める決意をしました。

仕事を辞めた結果…
2019年11月半ばの最終勤務を終え、胃のトラブル全般は1-2ヶ月で全快し、不眠症も少しづつですが良くなってきました。
また、家族や親戚から「表情が柔らかくなった」と言われました。(どんだけ険しい顔して仕事をしてたというのか!??)

辞めたことを後悔はしていません。
ただ、会社にはたくさんの大好きな友人がいたので、日々会えないことがちょっぴり寂しいです。
さらに、どういう意味のある心の反応なのか分かりませんが、退職後は何十回も会社を辞めて後悔している夢を見ています

さらに言えば、我が家は子供を授かれなかったので主人と2人の生活で、主人はコロナ禍ということでほぼリモートワークなものの、ふだんは平日の会食が多く、平日週2回くらいしかご飯を一緒に食べられないので、主婦だとちょっと物足りない生活という感はあります。

そして…
今は家で出来る仕事にチャレンジしようと医薬文書翻訳の勉強をしています。

実は前の会社で実験手順書の翻訳をしていたことがあり(ネイティブに翻訳チェックしてもらっていました)、全くの初心者ではないのですが、プロの翻訳家のための講座を受講して本格的に勉強をしてみると、細かい翻訳ルールがたくさんあって、 面倒くさいなぁ~という印象を持ちました(失礼!)

また、医薬翻訳家の方には理系出身でない方がたくさんいて(文系の方のほうが多い?)、研究者目線でテキストの翻訳例を読んでみると「何でこの訳がベストなのかね?」と思ってしまうようなこともあって納得のいかないこともあるのですが、できるだけ素直な気持ちで学んで頑張っています。

何より良かったのは、生きていても楽しくない、という気持ちもなくなり、再び大好きな旅やそのほかの趣味が心から楽しめるようになりました。

今はまだコロナ感染者数が再び増加傾向にあり、しばらくは旅も控えなければならないかもしれませんが、心の健康を取り戻しつつあることを喜ばしく思っています。

また、次回から再び旅とその関連の記事についてアップしていきます。
これからもお付き合いのほどどうぞよろしくお願いいたします。